THE NO EAR / TETSUYA

シェルター30周年おめでとうございます!
20歳くらいで初めてステージに上がらせてもらってから、数々の楽しい夜と、数々の泥酔の夜を過ごさせてくれてありがとうございます! 打ち上げで食べれる「ちくわのピリ辛のやつ」のレシピ教えてください!笑


鴉 近野淳一

鴉がレーベルを離れ自分達で活動するようになってからずっとワンマンといえばここです。秋田県に住みながら全国で活動する身としては本当に感謝しかありません。老舗でありながら、老舗であるからこそ絶対に忘れないバンドマン愛を感じる大好きな箱。事情は様々ありましてなかなか県外でのライブができてませんが、動ける状態になったら東京での一発目は絶対にここでやります!皆さん絶対見に来てね。改めてシェルター30周年おめでとうございます。


eastern youth 吉野寿

シェルターがなければ、下北沢という街は自分にとって縁遠い街でした。訪れなくとも特段の痛痒は感じない。そんな下北沢も、シェルターに頻繁に出入りするようになってからはグッと身近に感じられるようになって、好きな街になりました。
とはいえ、シェルターへ行く他には、やっぱりあまり用事もなく、街に詳しくなるようなこともなく、あまり足が向かなくなってしまった現在に至って、また元の通りの縁遠い街になってしまったように思います。 駅周辺の様子も大きく様変わりしてしまって、あの薄暗いような高架沿いの路地ももうない。もはやお前の来る街ではない。そんな風に、なんだか拒まれているようにさえ感じます。私が出入りしていた頃は「初期のシェルター」ということになるのでしょうか。小滝橋にあった新宿ロフトの雰囲気をそのまま持ってきたような雰囲気のシェルター。本当にいろんなことがありました。今でもお変わりありませんか?
理不尽な移転沙汰などに巻き込まれず、あたかも地縛霊のように、何十年も、百年までも、「THE ライブハウス」として、あの場所にあり続けて欲しいなあ、と願っています。


CATCH ALL RECORDS 佐竹

我々の多種多様な無茶ぶりにいつも真摯に対応していただき、どれだけご迷惑おかけしたかはもはや計り知れませんが、とにかく30年続けてくださってありがとうございます!引き続きやらかしてしまうとは存じますが、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします!金宮の方々にもよろしくお伝えください!


井上佳子(ENTHRALLS)

大阪から東京に出て来て勝手が分からない頃から、 イベントやワンマンをしたりとお世話になりっぱなしのライブハウスです。

メンバーが抜けて再出発の意味での新体制ライブや、 コロナ禍の中私たちにとって初めて配信ライブをさせていただいたのもシェルターでした。 今は激ヤセしていますが、特にお世話になった店長の義村さんのぽっこりお腹も忘れてはいません。

居心地が良い“避難所"から抜け出せなくて困っているのですが、何はともあれ30周年おめでとうございます!


鳴ル銅鑼

下北沢シェルター30周年おめでとうございます!
2016年の1stFullのツアーからお世話になり続け、何十回と演奏の場としてステージに上がらせて頂きました。私たちにとっても無くてはならない存在で御座います。今後も日本の音楽の登竜門としてどっしり構えていてください。30年間お疲れ様でした。31年目もどうか生き生きと音楽が鳴りますように!!


突然少年大武茜一郎

これまでこの場所で沢山の出会いがありました。
なかには出会わなきゃ良かったと思う一生級のショッキングなものもあります。それでも僕らはやめられなくて、未だ出会いを望んでいつもの階段を降ります。下北沢SHELTERというライブハウスがこれからも末長く続きますように。30周年おめでとうございます。


CRYAMY

下北沢SHELTER、30周年おめでとうございます。ツラを出すといつも誰かしらから可愛がってもらってます。ありがとうございます。

ド田舎者の俺でも10代の頃から名前を知っている歴史ある伝説のライブハウスを、その歴史の中ではド新人、ド末端、ド素人ではありますが、自分らのバンドでこうしてお祝いできることを素直に嬉しく思っています。

SHELTERで過ごした時間を思い返すと、語り尽くせぬほどの思い出や、ここでは絶対書けないことが浮かんできますけど、長くなりそうだし、これは当日のライブで全部ぶちまけてやろうかと思ってます。ワンマンだし。

あと、SHELTERは本来なら、ライブよりもその後の打ち上げを頑張るところですが、今回はむしろライブの方を頑張ろうと思います。

泣いても笑ってもSHELTER初ワンマン。しかもSHELTERの30周年シリーズ。感極まっております。初めてここのステージに立ったときは、ただ興奮してやかましく喚くばかりでした。けど、これ書きながら、こういう大事なタイミングでワンマンやるのを実感してきて、その時以上に、正直、感極まっています。

改めて、30周年おめでとうございます。使い慣れない敬語のせいで軽薄なコメントだ。文章じゃあんまり伝わらないでしょうから、当日はこの50倍はしゃべくって、歌と演奏までつけて、マジに祝います。


山﨑聖之(CONFVSE, fam, The Firewood Project, LOW IQ 01 & THE RHYTHM MAKERS)

いつか出演出来る日が来るなら死んでもいいとすら思っていた憧れのライブハウスSHELTER、今ではもはや私の生活の一部、なくてはならない居心地のいい大切な場所です。
ここで知り合ったたくさんの友達、色々ありここにはもういなくなってしまった友達もいたりと笑、本当にたくさんの人と様々な表情の素敵な時間を過ごさせていただいてきました。上京後の思い出の大半はSHELTERでの出来事です。
これからも引き続きもう嫌ってぐらい色々付き合っていただくと思うので覚悟していただきたいのとウザい時はウザいと遠慮せず言ってください笑 30周年本当におめでとうございます!


古閑裕KOGA RECORDS/ROCKET K

SHELTERがナント30周年めでたい。ということは、私も開店3日目からマジ30年間ここで飲み続けてるってことですかい!!多分誰よりもココにいる年月長い男なんで、いろんなことヤリ散らかしたし、いろんな歴史いっぱい見てきた。そんな昔話を偉そうに語っていきたいんで、今後ともお互いご一緒に長生きよろしくお願いします。


アラヤジャパン

30周年おめでとうございます。自分は15年近く通わせていただいてますかね。田舎者からしたら、相当な憧れの地。 より深く、シェルター付き合い出したのは義村店長になってから。レーベル始めたあたりから。ブッキング川本さんにも、辞めていった数多くのスタッフさん、今の新人さん含め、お世話になってます。

そんな何年間もありながら、コロナ禍はシェルターにいる頻度がより多くなりました。 誰にとっても未知で、緊張感たっぷり。第一波が訪れ、いよいよヤバいかも、な去年の3月。休業間際のあの日にいたのもシェルターだった。

今、何をやろうかやれるのか、どうやっていこうか、乗り切ろうか、を休業中の店内で飲まず食わず話したり。シェルターだけじゃなく、全国のライブハウスで、何かできることは無いか、と話しした日もあった。飲まず食わずで長丁場、居た夜もあった。

状況はその話しをした時とさほど変わって無いかもしれない。いやむしろ、ここからが長いのかもしれませんけども、シェルターのみんなが、試行錯誤しながら、挫けそうになりながらも何とかやってるのとか、たまに見せる笑顔とかを近くで見れてるんで、こっちも何とかやっていかんとなーてなってます。 そんな関係性はこの夏、更なる深化もあり。

元シェルタースタッフの住んでるアパートの隣の部屋に私が住み始め、融通利かせて働ける若いバイトの子も派遣。 急遽イベントが飛ぶ=スケジュール空くのがこのご時世。そのとき真っ先に、なんかやってくれって無茶な案件を当然のように振られる役、になりました。でそれを何とかしたいって思っちゃってる自分もいる。

最近は、賄いの皿洗い、ドリンク作り、閉店作業も覚えつつあります。いつでもバイトできるんでこれからもよろしくお願いします。シェルターも私たちもまだ、やれるはず。


古川太一 (KONCOS, LEARNERS)

SHELTERは僕の基本。音、ステージ、ダンスフロア、究極にシンプルなライブハウスに、毎回試される。時空が歪んでいる下北沢の地下で、これからもみんなで乾杯できますように。


KOJI ROJO(MOOS , V/ACATION)

ちょうど10年ほど前。下北沢に住んでいた頃。 友人がシェルターで働いていたこともあり、ほとんど毎日のようにパブタイムのシェルターで酒を飲んでました。
その頃の自分は、シェルターのすぐそばに住んでいたこともあって、自宅を寝室。シェルターを我が家のリビング。くらいの感覚で生活していたのですが、 シェルターにライブを見に行ったり、出演させて頂いたりするとやっぱりシェルターのライブは特別な感じがして背筋が伸びる感じがしました。

そこにきて、30周年の一連の企画。やっぱシェルターって、ぶっ壊れた面白いことするなー!と思い、そのなかで自分たちが30周年イベントにお声がけ頂いたことがとても光栄です。 10年間、大変お世話になりました!次の10年もよろしくお願いします!


spider yamamoto (falls, joseph eats a snail)

「下北沢SHELTER」って言ったらバンドやってたら登竜門、という時代?今も言われている?のかは分かりませんが、僕が10代〜20代前半の頃はずっとそんなイメージがありました。漠然と怖いイメージがずっとありました。

「フライヤーの折り込みお願いします!」
「ご自身でお願いしまーす」

フライヤーって自分で折り込まなきゃいけないのか!と世の厳しさを教えてくれたライブハウスでもあります。

今それがどの様なイメージとなって、SHELTERに出たいと思っている音楽をやっている人達に伝わっているかは分かりませんが、今の僕から見えるSHELTERは、演者に寄り添い、このひどい時代の中でも音楽をどうにか盛り上げようとしてくれる素敵なライブハウスに見えます。
そして色々な音楽がある中で、僕らの事をライブに誘ってくれています。いつも本当にありがとうございます。

30周年が終わり、40、50、60、と時を重ねていき、これからも素敵なライブハウスとして、素晴らしいミュージシャン達が演奏出来る場所として、ずっと残っていって欲しいなと切に願います。
遅くなりましたが、30周年、誠におめでとうございます。 Thank you, SHELTER!!!!


OSAWA17(I HATE SMOKE RECORDS / THE SENSATIONS)

衝撃や衝動、感動と歓喜、新たなる出会いや発見、酒の美味さとその後の地獄、その全てをSHELTERで幾度となく味わわせて貰いました。一生のこの場所で遊び倒したいです。 SHELTER30周年おめでとうございます!


THE GUAYS キャプテン・リョウスケ

地下室に降りる階段、そこにネオンが灯れば始まりの合図。
好きなパンクバンドのVHSの映像から溢れる熱気と白黒の碁盤目状のステージ、バックのshelterの文字。
そんな憧れだったライブハウスは30年分の沢山の人の汗と涙と匂いと思いを染み込ませ、現在進行系で音を鳴らし続けている。 今あるから、僕たちはそのステージに立つことが出来ている。 shelterのステージに立つ時、そこにいるお客さんと自分たち、そしてもう一つ、ハコとともにいる亡霊を踊らせることが出来るかがいつも勝負なんだ。
まだまだ僕たちグアイズは30年に比べると若いがこれからもshelterを、shelterと踊り続けていきたい。
そして、あの頃の僕たちの憧れだった場所が、これからも鳴り続けることを信じて。


伊藤雄和(OLEDICKFOGGY)

今まで何回あのステージに立たせて頂いたかわかりません。なんかもう、当たり前に、生活の一部みたいになってしまったけど、そこは、下北沢シェルター。ガキの頃、音楽誌で観た下北沢シェルター。初めてワンマンした、下北沢シェルター。恒例になった年末ライブ、打ち上げのカラオケ、自主企画、MV撮影。思い起こせばきりが無いですが、僕等のキャリアの大半があの場所で共に刻まれた事を誇りに思います。30周年おめでとうございます。これからもご迷惑をお掛けします。


宮川企画 宮川

30周年おめでとうございます。近年、SHELTERを勝手に「ホーム」と呼ばせていただいています。やりたいようにやらせていただく毎回ですが、まだまだこの会場で観たいバンドがたくさんいます。SHELTERに出逢っていただきたい方々がたくさんいます。今まで積み重ねてきた30年を祝福しつつ、これからの30年が見所です。生きる糧になるような1日をあなたとシェルターで共有したいので、2022年も2023年も持ち込み企画をさせてください。しぶとく営業してくださる事を心から願っております。


威文橋(uri gagarn)

下北沢SHELTER、30周年おめでとうございます!初めて出演させてもらってから早20年位が経ちました(写真は当時のもの)これからもその独特の磁場を放ちつつバンドを受け止めて下さい!!!!SHELTER最高!


My Hair is Bad 椎木知仁

下北沢SHELTER30周年おめでとうございます。あのバーカンで悪酔いしかしてなくて、ほとんど記憶をフロアに溶かしてきましたが、もう思い出せなくても思い出したくなるような、忘れてるのに忘れられない夜にこれからも出会わせてほしいです。


GEN (04 Limited Sazabys)

30周年おめでとうございます。僕が下北沢SHELTERというカルチャーにやられて、もう早20年。もはやどうやっていつ存在を知ったか思い出せないぐらい、僕は自然とSHELTERに出会い当たり前に憧れていました。

初めてライブで下北に行った時は、別の箱に出演なのにSHELTERの場所を確認して、聖地巡礼をしに行くロックオタクっぷり。初めて出演した日は、あのネオン看板に、あの階段に、あのでかい時計に、あの白黒の床に、歴史を感じて痺れ狂いました。

僕が憧れたバンド達の由緒正しき東名阪ツアーと言えば、下北沢SHELTER、今池HUCK FINN、十三FANDANGOです。FANDANGOは無くなってしまいましたが、下北沢SHELTERは文化的側面でみても絶対に無くしてはいけません。いちバンドマンとしていち音楽好きとして、あの場所を守り続けていけたらと思います。


松田”チャーベ”岳二 (LEARNERS / Cubismo Grafico Five)

下北沢シェルター30周年!最初にステージに上がったのはFREEDOM SUITEというバンドで93年くらいだっただろうか。それから様々なバンドでお世話になり、ライブ後には「打ち上げ」というある種ライブよりも体力を消耗する深夜を過ごしてきた場所。泣いたり、笑ったり、怒ったり、潰れたり、、、
みんなの激しい感情をバッチリ包み込んできたシェルター、本当に大好きです。また色々が落ち着いたら夜中の最終地点としてラスト一杯をフラっと呑みに寄りますね。30周年、おめでとうございます!これからもよろしくお願いします!


BAN’S ENCOUNTER 歌とギター 松尾

「下北沢SHELTER 30周年に寄せて」

30周年おめでとうございます。
いつの頃からか憧れていたライブハウス そんなライブハウスのステージに初めて立ったのは実は2013年の事で、現店長義村さんと出逢う前の事でした。
それから義村さんと出逢うきっかけにもなった2016年自分達のデモ音源の全国ツアーでのシェルターの夜。

ライブ終わりには、会場入りの時挨拶した時のテンションとは比べものにならないほどHIGHな義村さんに少し戸惑いつつ、嬉しかったのを覚えています。 シェルターに愛着を感じたのもその夜からだったと思います。 帰ってくるたび自分達の成長を見届けてくれました。 長崎にもこっそり観に来てくれたこともありましたね。(もう時効ですよね)

長崎のバンドでありながら、地元のバンドのように大事にしてくれた店長がいるライブハウス。 シェルターのあの場所にしかない空気間がたまらなく好きで、幾度となくここで歌った今でも、出逢った頃と変わらず憧れのままだったりする不思議な場所です。

ここで観れた景色が未だに支えになる日があります。

シェルターの30周年月には叶いませんが、 これからの歴史の中で、是非いつかワンマンさせてください。 その時はサウナまでマストでお願いします。 半分店長への手紙になりましたが、 シェルターの皆様に感謝しています。

ライブハウスは無くなって良いものじゃないと俺は思います。 ここで出逢えたものがあまりに大きいです。

メンバーを代表して これからも末永く宜しくお願いします!



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